高野さん受賞式
東京オペラシティにて
2017年9月15日、
第20回文化庁メディア芸術祭に初めて参加した。
ナビを頼りに何とか
新国立劇場にある東京オペラシティにたどり着
く。
さすが日本の首都、その規模、斬新なデザインに圧倒される。
こんな場違いの所に来たのにはこんな理由があった。
「
すべてのマンガコレクターは『青虫状態』に憧れる」
という言葉がある。
青虫とはホントの虫ではなく、
福島県只見市にある究極のマンガ図書館のこと。
ここの館長
高野行央さんが、今年の
文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞することになり、
コレクター仲間としてお祝いに駆けつけたというわけだ。
アート部門、エンターテイメント部門、アニメーション部門、
マンガ部門の受賞式のあと、
いよいよ功労賞の番になる。
高野さんは甥っ子から借りてきたというモーニングを着用し、
緊張の面持ちだったので
ちょっと心配したが、
受賞の挨拶は実に落ち着いたもので、
コレクター人生をこれまで
支えてくれた奥様への深い感謝の気持ちが溢れていた。
その後開催された懇親会では、文化庁長官が高野さんに挨拶に来られ
たが、その時、
「
これまでいろんな挨拶を聞いてきたが、
あれほど自分の奥さんに言葉を尽くした挨拶は初めて。
感激しました」
というコメントが寄せられた。
同じコレクターとして、これほど励みになることはない。
おめでとう、
高野さん! おめでとう、
青虫!
以下は
初めての青虫探訪記である。
青虫とは
2017年6月26日、
そこへのアクセスの不便さからなかなか実現しなかった、福島県只見
市にある「
昭和漫画館青虫」を訪ねることとなった。
古いマンガに興味のあるファンの間では、
一生に一度は訪れたい聖地として知られているのがここ「
青虫」
である。
その
ネーミングの由来を館長に聞くと、
さすが
戦後マンガ第一世代だなと思わせる答えが返ってきた。
現在の日本のマンガは、1960年代に発生した
二つの源流がもとに
なっている。
一つは「
マンガの神様」
手塚治虫を中心とするマンガ界のメインストリームである。
新刊書店を流通拠点として
全国に多数の読者を抱えていた月刊雑誌、
週刊雑誌に作品を
発表していたマンガ家たちが、1960年代に手塚
治虫の周りに集まっていた。
トキワ荘グループと呼ばれる
石森章太郎、
赤塚不二夫、
藤子不二雄、
つのだじろうに加えて、
手塚と同格の
横山光輝、
トキワ荘グループと親交のあった
ちばてつや、
松本零士らが代表的作家であろう。
彼らの作品を発表するために
手塚が創刊したのが「
COM」
という雑誌で、出版社は「
虫プロ」。
「
青虫」
の
虫はここからとったものだ。
マンガの表街道ともいうべき月刊雑誌に対して、
裏街道ともいうべき
サブストリームを形成していたのが、
「
マンガの鬼」
白土三平らを中心とした、
もう一つの源流であった。
当時は
全国に3万店以上あると言われた「
貸本屋」
を流通拠点として、
漫画家たちは安い原稿料でマンガを描いていた。
さいとう・たかを、
水木しげる、
小島剛夕、
辰巳ヨシヒロ、
つげ義春などの作品は、
手塚の丸っこい絵柄に対して、
リアルな描線で描かれており、当時「
劇画」と呼ばれていた。
彼らの作品を出版していた雑誌が「
ガロ」。出版社は名編集長
長井勝一を擁する
青林堂。「
青虫」の
青はここからとっている。
青虫は二つの源流の水源近くで描かれた1960年代の雑誌、
単行本、
関連資料を中心に構成されており、
私たち
団塊世代にとっては、
忘れがたいマンガばかりがズラリと並べ
られている。
・・・と、探訪記はまだまだ続くのだが、
ここから先は私が寄稿している
熊本の総合文化誌
「
KUMAMOTO」
20号を読んでいただきたいので、この辺で。
特定非営利活動法人 熊本マンガミュージアムプロジェクト代表 橋本 博